近江兄弟社学園は、建学の精神として「イエス・キリストを模範とする人間教育」を掲げ、イエス・キリストの教え『地の塩・世の光』を学園訓として定めています。学園で学ぶ生徒が神さまから与えられている素晴らしい個性、才能、タレントを力一杯伸ばし、社会に出て自分の幸せだけではなく、自分以外の人々(隣人)の幸せのために、また社会の発展のために生きることができるように願って定められた学園訓です。「塩」は、それ自体が溶けることによって他の素晴らしい持ち味を引き出し、良き味付けをし、腐敗を防ぐ大切な役割を果たします。「光」は暗闇を照らす一本のろうそくのように自らを熔かし、消耗しながら周りに温かさと明るさを与えます。
学園は、創立以来、「偏差値中心の価値観」に偏った教育ではなく、「人間性豊かな価値観」を大切にして教育を推進してきました。今、社会から切実に求められている教育は、まさにそのような教育だと確信しています。
近代文明生活の恩恵にどっぷりと浸り、生活の「便利さ・効率性」を求め続け、物質的豊かさを享受してきた私たちですが、今、根底から大きな転換が求められています。私たちの日常の「教育」や「生活の営み」は、「いのち」の教育を土台に据え、平和と環境保全を地球規模で再構築する時です。人の幸せはモノやお金の獲得や限りない欲望の充足だけでは得ることができないことに私たちは気づき、「いのち」の安心・安全な居場所と共に「心」に安心とやすらぎをもたらす「ホンモノの豊かさと幸せ」を求める時代を迎えています。
未来を担う生徒たちが学園での学びを通して自他の「いのちの尊さ」を知り、互いに支えられ「生かされている」自分を発見して、社会の改善のために何事にも力一杯注いで「行動」することができる「DO!」の人になってもらいたいと願っています。
私たちの学園の教育の土台は、イエス・キリストの「隣人愛」の教えです。「隣人を自分のように愛しなさい」という教えに集約されます。その土台をしっかりと築くために日々、宗教教育を実践しています。私たちは、学園の「宗教教育の柱」として次の三つの事柄を大切に考えています。
それは、1.「いのち」の教育 2.平和教育 3.環境教育です。
ここで意味する「いのちの尊さ」とは、「人間中心主義的視点」から捉えた「いのちの尊さ」ではありあせん。人間は自然の調和の中で「生かされている」存在であり、近代文明生活の中で主流であった私たち人間が「自然の支配者」あるいは「守り手」であるという考え方を改め、人間中心主義的視点から「いのちの尊さ」やヒューマニズムを説かないようにしています。
「いのちの尊さ」とは、天地万物の創造者によって創られた大自然の「すべてのいのち」への畏敬を意味しています。アルベルト・シュヴァイツァーの説いた「生命への畏敬」や日本の伝統的な自然観「山川草木悉皆成仏」の教えを大切にして豊かな宗教的感性を養うことを願っています。
「善とは、生を保ち、生をうながし、発展すべき生をその最高の価値にまで達せしめることであり、悪とは、生を否定し、生を毀損し、発展すべき生の高揚をさまたげることである。人間が倫理たるは、ただ、彼にとって植物も動物も人間も、すべて生命が生命として神聖であり、いやしくも苦しむ生あれば、これに扶助せんと献身するときのみである。」(アルベルト・シュヴァイツァー『わが生活と思想より』竹山道雄訳:白水社)
私たちの学園の宗教教育のもう一つの特徴は、他宗教との連携です。「いのち」と「平和」の尊さを説き、実践しているすべてのまじめな宗教を敬い、連携をしています。これまで、創立者ヴォーリズ生誕記念日にはカトリック教会、仏教、神道などから諸先生方をお招きして市民の方々と共に「いのちと平和の集い」を持ち、学びを続けてきました。宗教の多様性を認め合い、学び合い、人類が共有すべき「いのち」と「平和」の恩恵、そして人類が共有すべきその「責任」の自覚を深め、世界平和に「奉仕」ができる教育実践を目指しています。
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