2008年6月7日(土)滋賀県立男女共同参画センターで「伝えよう熱い想い2008」が行われました。その中の中学生広場「中学生の意見発表」で本校生徒会長 桜井広大 くんが発表を行いました。また、生徒会のメンバーも参加をして、当日託児などのヴォランティアなども行いました。
| 「生きた証を残しませんか。」 近江兄弟社中学校生徒会長 桜井広大 ![]() 生きた証を残す、という言葉を耳にした事がありませんか。言い換えれば、自分が生きてきた結果をこの世に残すという事です。そんな事を聞いた僕は、どうやったら自分が生きた証を残せるのだろうか、と考えた事があります。証を残すのですから、何か物を残せばその物との繋がりで、自分がずっと残るんじゃないか、と考えていた頃がありました。しかし、僕は日々過ごしていく中で少しずつ考えが違うようになりました。何かを残せば残るという考えもあるけど、本当の意味で生きた証を残す事は、誰かの心の中に残るような人生を過ごすという事ではないだろうか、と考えるようになってきたのです。そのきっかけの一つが、学校の先生との出会いです。僕が小学校の頃に、そう思えるきっかけを与えてくれた、一人の先生がいました。先生は、私達に勉強を学ばせてくれ、様々な事を教えてくれます。勉強のことから、自分の経験までたくさんの事を教えてくれます。そして、その教えてもらったことは、ずっと僕達に残るものです。この僕達に残るものが、先生が生きた証を残す事になるものだと思っていました。勉強している中で、教えてもらったことを見かけると、その先生を思い出したからです。こうやって思い出すなら、たとえ先生が亡くなったとしても、先生のことを思い出すことができるのですから、生きた証を先生は残せるのだと思っていました。ですが、ある時僕は授業中、友達に分からないことを聞かれて教えていると、ある事に気が付きました。僕が教えた人は、僕に教えられたとして、僕の生きた証がその教えられた人に残るものになります。たとえ、自分が教えてもらったものであっても、僕が教えてしまえば、それは僕の生きた証となってしまい、それでは先生の証がずっと残るものにはならないじゃないかということです。それならば、先生の生きた証は本当に残せたわけじゃありません。しかし、先生の証は僕の証と重なって残っていくのです。それから、しばらく生きた証ってどう残っていくんだろうと僕は考えました。ですが答えは出ませんでした。やがて僕が中学生になってしばらく経った時にふと、小学校の先生のことを思い出すことがありました。懐かしいなぁ、また会いたいなぁと思いにふけていると、どうしてこんなにも、また会いたい、とかまた話したいと思うんだろうと疑問が浮かび上がってきました。それはまぎれもなく、先生への、感謝の気持ちがあったからなんじゃないかと思いました。先生に何か教えてもらった事があるから会いたいのではなく、その先生自身の人間性が僕の心に残ったからなんだと思います。だから、僕が考えるには、自分の生きた証を残す為には、何か物で残そうとするのではなく、誰かに感心してもらったり、心に残るような事をしてこそ、生きた証を残す事なのだと思います。皆さんは、自分の人生の意味を考えたことがありますか。自分自身の生きる意味を考えたことがありますか。生きる意味は一人一人、違うと思います。ですが誰にでも共通して生きる意味が一つ、あると思います。それは、生きた証を残すことだと思います。皆、生きています。だからこそ、生きた証を残すことは、人生に意味のあることだと思うのです。誰かの心に残るような、誰かの為に何かしていけるような人生を送ることで、一つの自分の人生を見出せるのではないかと思います。だから、皆さん、まずは身近な人の心に、自分を残しませんか。人と話し、人と考え合い、励まし合って行動し、自分の生きた証を残しませんか。そんな自分の生きた証をたくさん残せる人に、僕はなりたいと思っています。 |
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