1880年(明治13年)10月28日、カンザス州レブンワースにて生まれる。
母方の祖父 William Merrill (ウィリアム・メリル)の家で生まれ、William Merrell Vories(ウィリアム・メレル・ヴォーリズ)と命名される。
父 John Vories (ジョン・ヴォーリズ)は、(八男二女の)四男として誕生した。幼少期をミズーリ州セントジョセフで過ごしたが、20歳の頃にレブンワースに移住し、簿記の仕事をしていた。同地で第一長老教会に属し、日曜学校の図書係として奉仕していた。
母 Julia Vories (ジュリア・ヴォーリズ)は、オハイオ州ペインスヴィルにあった「レイクエリー女子神学校」を卒業し、将来海外で宣教師として働くことを夢みていた。ジュリア・メリルの父 ウィリアム・メリルは、60歳を過ぎてからレブンワースに移住してきた第一長老教会の長老であった。ジュリアは、その教会で日曜学校の教師を務めており、ジョンとジュリアはそこで知り合い、結婚した。
父方の祖父 Henry Monfort Vories (ヘンリー・モンフォート・ヴォーリズ)は、ミズーリ州の最高裁判所の判事を務めた人であるが、田園生活を愛する人でもあった。
母方の祖父 ウィリアム・メリルの先祖は、イギリスから渡って来たピューリタン(清教徒)で、代々農業を営んでいたが、60歳になってから牧師になった人である。
幼い頃のヴォーリズは、祖父と両親、母の姉(伯母)とその娘Carrie (カリー)(従姉妹・当時20歳ぐらい)という大人ばかり5人の中で過保護に育てられた。
2歳の時には、腸結核に罹り、死の危険があったが、母 ジュリアの献身的な看護で快復する。しかし、虚弱な子どもであったためいつも甘やかされ、周囲の世話を期待する子どもであった。
家の中で遊ぶヴォーリズは、従姉妹カリー(ドイツ人の音楽家についてピアノのレッスンを続けていた)が弾くピアノをいつも耳にしており、メンデルスゾーンやブラームスの曲に心をとらわれていった。
4歳の時には、教会で初めてパイプオルガンと聖歌隊の合唱を聞き感動する。〔それ以来、音楽は私にとって神聖な言語になった。〕
※1 と後に自ら語っている。また絵にも興味を持っていて、鉛筆と紙を与えられると1時間以上も一人で楽しんでいたと言われる。
ヴォーリズの生家
ジョン・ヴォーリズ
ジュリア・ヴォーリズ
1888年に医師からの許可が出て、1年遅れて小学校に入学した。
両親はヴォーリズの健康のために、アリゾナのフラッグスタッフに移住することを決めた。この地は海抜70000フィートの高さにある自然に恵まれた新開地であった。
ヴォーリズは、この地で健康を与えられると共に、美しい大自然のなかで精神的にも感化を受けて成長した。
その自叙伝の中で〔健康は確かに。北部アリゾナの風土が与えた貴重な賜物であった。また精神の高揚は、山の谷やココニノの(Coconino)の森のおかげであり、夜の高原の清らかな大気、荘厳な空、言語に絶する早朝の曙光や薄明の日没から受けた印象であった。豊かな自然、これは開拓地では、必然的な恵みであった。〕
※2と書いている。
都会から離れたアリゾナは自然に恵まれ、育ち盛りの子どもの想像力を育み、感受性をさらに豊かにするには絶好の地だったのである。
12歳から、先生についてピアノを始めるが、讃美歌は独学でマスターして弾くようになった。
ヴォーリズは小学校に入ってオルガンの音色を聴いてからは、弾いてみたくてたまらなくなったという。そして、偶然、先生がオルガンの鍵を入れている場所を見つけてからは、先生や生徒がいない時を見計らって、昼休みの時間などにオルガンに親しんでいったという。
少年ヴォーリズは、教会のオルガニストとして用いられ、フラッグスタッフ・スクールでの最後の2年間は報酬をもらってオルガニストを務めた。更に、14・15歳の頃には、母の知人の紹介で絵も特別に教えてもらうことになる。
〔絵画と音楽とは互いに作用しあうように、建設的な影響を及ぼしていった。両者は私の生涯を決定する原動力になり・・・〕
※3と自叙伝で述べている。
幼年時代のヴォーリズ
フラッグスタッフの家
1896年、ヴォーリズ一家はコロラド州デンバーに移住し、ヴォーリズはイーストデンバー高等学校に入学した。
フラッグスタッフでは充分な教育機関がなかったことと、父 ジョンの仕事上の事情が転居の理由であった。このように両親が絶えず子どもの健康や教育のことを優先してきたことは、ヴォーリズにとって大変幸せなことであった。
今までになく大規模校であるイーストデンバー高校では、ヴォーリズは成績は首位ではなかったが、そのことより大事なことがあると気付くようになったという。
また高校の音楽クラブの創立に参画し、その会計係に選ばれ、3年生では会長を務め、これに熱中していた。
ある朝、担任の教師が不在の時、ヴォーリズのクラスの生徒が校長先生から一方的に頭ごなしに叱られるという事件が起きたが、ヴォーリズは動じることなく級友を代表して冷静に対応したという。校長に自分達のとった行動の正当性をきちんと説明し、校長がその短気を反省して謝罪したというエピソードも残っている。
少年時代のヴォーリズ
米国においては、子どもたちは小さな頃から家事の手伝い(食器拭きや芝刈りなど)をするのが当たり前であった。そして、1週間に1回まとめてお小遣いをもらい、その中から教会学校の献金をしたと聞いている。また何か欲しい物があれば、こつこつと貯めて手に入れるのを当然のこととして育てられていた。
ヴォーリズも例外ではなく、よく母ジュリアの手伝いもしたし、教会でオルガニストとして奉仕しアルバイト料をもらっていた。
高校時代には、新聞配達や「切抜き文書整理箱」の販売なども経験している。
それらの経験を通して、世の中の矛盾に出会ったり、悲しい出来事にも遭遇していた。しかし、ヴォーリズはどのアルバイトも誠実に行い、特に販売ではかなりの成果をあげて、ひと夏で1年分の学費を手に入れることもあったという。